Undertaker
10/30にもう会えない別れをした。
ここで言う「会えない」というのは、
対人ではなく人同士で生み出された空間や音楽、起きる出来事など形の無いもとする。
この手の別れは何度目だろう。どれ一つとて慣れない。
同じ日など決してないが、例えば演者と客の関係性の中で生まれた空間は「日常の中の非日常」を作り出してる。
でもその非日常も連続的にやれば"日常"なのだ。まあ、アイドル現場での例えなのだが。
なんだか「当たり前」って同じ出来事は起きてない筈なのに、習慣化される事によって「当たり前」になってしまい、その「当たり前」が失くなった時大事さに気付く。
きっと何万年前から同じ事を人は繰り返して傷付いて居るんだろうよ。現に自分が何度もそうだし。
つらいと分かってるはずなのに別れが慣れないのは、掛けて来た愛情や愛しみの分、オセロのように痛みにクルリと変わるから、愛情と痛みは二律背反だからなのかと思う。
たかが娯楽、ただのアイドル、所詮他人。
多くの人がそう思う筈だ。
自分も初めてはそうだったし、なんならアイドルを好きになれなかった。
しかしまぁどうしたもんか、そんなアイドルにハマってしまった。
正確に言えばアイドルらしくない存在に惹かれた。
そして同時にその子たちに深く思い入れを抱いてしまい苦しくなるという、オタクをするには不器用過ぎる自分を知ったのだ。
そんな不器用な自分にドルオタをしてて何度も苦しくなった。共感覚と言えば良いのだろうか、メンバーの状態に敏感に気付いてしまうし、気付いたら気になってライブ中もそれに気を使ってしまう。
普通なら何も気にせずライブを楽しみ、今日も最高!推しが可愛い!で終わり多幸感で娯楽を満喫するものだが、私には時々それが難しかった。
「オタク向いてない」が口癖になった。
随分と自分語りをしてしまったが、冒頭で話した「別れ」に戻す。さもないとオチのない厄介な自己紹介にしかなりかねない。
不器用ながらも推しを応援し続け、解散発表や脱退、当たり前だったものを失い、失った日常に失恋でもしたのかぐらい落ち込んだ時もあったし、納得せざるを得ない解散だが心に穴が空いた虚無感を抱えたりもした。
そんな中出会ったウルトラコレクティブラップアイドル。
また応援したのがアイドルだった。が、詰まるところメンバーの見た目よりも楽曲に惹かれた。
急速に興味が湧いて、音源を落とし、聴き込んで、どうにか駆け込んだ初めてみたライブで、堕ちたのだ。
アイドル特有のダンスをする訳でもない、マイク一本とリリックと踊らせる曲とたった3人のメンバーで空間を支配して、客を沸かせてる姿を見て堕ちたのだ。
考えてみてしまう自分に考える余地を与えないくらい楽しんで観れた
それが校庭カメラガールドライとの正面衝突みたいな出会いだった。
校庭カメラガールの歴史は非常に複雑だった。
過去を知りたいと思って調べてみたが
「ややこしい!!」が結論。
校庭カメラガールからの校庭カメラギャル、校庭カメラガールツヴァイ、からの校庭カメラガールアクトレスだの、なんかもう本当メンバーの入れ替えと改名と構造が絡まったひもQみたいで複雑。
全部書いたらサイゼリアで馬鹿食いした時のクソ長いレシートみたいなしんどさあるから割愛な。
まあ簡単に説明すると、ドライの前身はツヴァイで活動後解散し(ここで既にだいぶ端折ってる)らみたたらった、きゃちまいはー、さっぴーはろうぃんで活動、さっぴーが脱退、ぱちょとんぱ加入、1年後らみたたらった卒業。そしてうぉーうぉーとぅーみー加入なのだが、
実は新メンバーとして入ったうぉーうぉーとぅーみー、前身のツヴァイに所属。
一度この世界から離れたもののもう一度やりたいと決意、事務所の扉を再び叩きドライにて復活したという裏ストーリーがあるのだ。
めちゃくちゃかっこいい。
まるで武士。
実は新メンバーじゃないしなんなら古株というエモ。
しかもドライではツヴァイでの曲も歌うから、うぉーさんは歴史の跨いだ存在としてツヴァイの曲を歌うエモ。
新メンバーとしてドライに入ったが、2人の魅力の為に自分の役割を理解し、安定感で支える事を選んだ武士。ただの武士。(褒めてる)
そしてうぉーさんだけでなくぱちょとんぱ、きゃちまいはーも個性の塊で、東京タワーとスカイツリーぐらいの二大巨塔。
魅力的な声で歌唱力抜群、リードボーカル的ポジションながらもラップパートもキメるきゃちまいはー。
彼女の声なしにドライは成り立たなかった。
唯一無二の耳に残る素晴らしい歌声。
一度脱退発表をしたが、取り消されドライ解散まで活動する事になったが、私としてはそれで良かったし、3人で作り出してこそドライだと思った。
ニコニコの笑顔と特典会での接しやすさの太陽神。
ドライで強烈なスパイシーさと甘さを使い分けられるカリスマ性のもつぱちょとんぱ
ステージ上のパフォーマンスが本当にカリスマ性が凄い。客への煽りや出立ちにヤンキー風味を持つが本人はめちゃくちゃ真面目であり、周りをよく見てる視野の広さを持ってる。特典会ではステージ上のオラオラしてたと思えないくらい優しいし甘えてくるという最高のギャップ。ドライでの歌唱では抜群に辛さと甘さで魅了させてくれる。
そんな3人でしか作れない音楽が好きだったし、楽しみの一つの支えだった。
コウテカ3は約半年間しか見れなかったし、すべての現場に行けた訳ではない、メンバーそれぞれの人間性をより分かり始めたのは皮肉にも解散前の1ヶ月間だった。
学生時代、卒業近くなってから急に仲良くなった友達みたいな感覚と同じだ。ああいうのは案外忘れられないのである。
人は同じような体験を環境を変えて何度も繰り返して行くんだな。
メンバー3人はそれぞれの道にバラバラに旅立った。
芸能界を辞める者
別の活動に移る者
留まる者
どの道も彼女達にとって素晴らしい世界に繋がって欲しいと願う反面、まだまだコウテカ3が見たかった、3人に会いたかった、なんて野暮な事も思ってしまう。
わがままにも似た感情だ、「オタクってわがままだよね」と自分に向けて諭す。
しかし前向きに考えたら「間に合った」のだ、少しでも彼女たちの音楽に「間に合った」し、終わりを見届ける事も出来た。
最後のライブは涙ひとつ出なかった。
もう終わるんだよって自分の中で言い聞かせていたから。
「最後のライブは絶対泣いちゃうわ〜」なんて言ってた過去の自分よ、なに可愛いこと言ってんだテメー!祭りだって騒いで盛り上げるだろうが!踊らないでどうする!という気持ちだし、今まで立ち会った解散は泣いてたけど、初めて楽しめて別れられた。
こういう別れ方出来るんだな自分。
でも解散して2日しか経ってないからさみしさはまだ有る。コウテカ3はうぉーさんが加入してからの体制での音源はBe ThereとSpree、あとは撮影可能現場での僅かな動画しかなく振り返られる記録がほとんどないのが非常に勿体なくて泣きたいが、逆に最後のライブで永遠になれたなと思う。最高の瞬間を閉じ込めて終わったから。
(ロマンチストかて)
いつまでも目の前の推しや音楽や環境が有るわけではない、なんて誰かの言葉を借りる。
何だってそうだし、出逢いも鮮度が命だし、絶対に逃してはならないなと思う。
別れを惜しむ事、出会いを喜ぶ事、生きてりゃ何度か立ち会うけれど、赤の他人に淡い恋をし、愛情を持って応援し、友達とも家族とも言い難いが、でも確実な大切さが互いにある中で、突然の別れを見送る、無論連絡なんて出来ないので一方的な別れでしかない。
そんな特殊な出来事なかなかない。
アイドルの世界に飛び込んで身に染みて学んだ。
とても変、なのによかったと思えるし、数々の影響を遺す。
コウテカ3にも沢山の思い出を遺して散ってしまった。
そして新しく活動が始まる推しもいる、
はじまりとおわりとこの不思議な関係を不器用でも私は気長に楽しんでいきたい。
この記録をもって埋葬。